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蓼科の文人たちと恋 伊藤左千夫編
伊藤左千夫の情熱

 

 伊藤左千夫は、蓼科を愛した代表的な歌人の一人です。  「恋の悲哀を知らぬ人には、恋の味を話せない」と語った左千夫は、数多くの短歌と、一途な純情にあふれる小説を残しました。  伊藤左千夫の処女作である『野菊の墓』は、のどかな農村で起こる、恋を知り初めた一組の男女の物語です。15歳の政夫と17歳の民子は、山を行く道すがら、お互いを野菊、りんどうに例えて心を通わせました。  民子のモデルは、牧場に勤めた若かりし頃の左千夫が想いを寄せ、結婚を申し込んだ「きさ」と言われています。きさの縁者に申し込みを断られた左千夫は、結婚をあきらめましたが、その15年後、きさが嫁ぎ先の家で亡くなったことを知ります。その2年後、左千夫は『野菊の墓』を著しました。  左千夫は、自ら『野菊の墓』を朗読する際、涙に声をつまらせることしきりだったといいます。

蓼科を愛した代表的な歌人

上総国武射郡殿台村(現・千葉県山武市)出身。
本名は幸次郎。明治法律学校(現・明治大学)中退。 1898年(明治31年)に新聞『日本』に「非新自讃歌論」を発表。『歌よみに与ふる書』に感化され、正岡子規に師事。子規の没後、根岸短歌会系歌人をまとめ、短歌雑誌『馬酔木』『アララギ』の中心となって、斎藤茂吉、土屋文明などを育成した。また、1905年(明治38年)には、子規の写生文の影響を受けた小説『野菊の墓』を『ホトトギス』に発表。夏目漱石に評価される。代表作に『隣の嫁』『春の潮』など。
1913年(大正2年)に脳溢血のため死去。

伊藤左千夫の写真


明治から昭和初期にかけて、多くの文化人が集い“蓼科文学”を作り上げた一大文学保養地・蓼科。 蓼科温泉 親湯は、多くの歌人や作家がぬる湯に浸かり、文学談義を繰り広げた文化人の常宿でした。
恋の美しさ、愛情の慕わしさを詠った多くの歌人、 愛の喜びと悲哀を同時に綴った作家たちが好んだ宿であなたも、 あなただけの愛のものがたりを紡いでみませんか。