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蓼科の文人たちと恋 瀬戸内寂聴編
瀬戸内寂聴が愛した激情

 

 瀬戸内寂聴が本名の瀬戸内晴美だった時代、白秋と3人の妻を描いた『ここ過ぎて』の取材で、親湯を訪れています。  夫に履き物を隠され、それでも恋人に会いたくて裸足で走り出し、そのまま帰らなかったという逸話をもつ晴美は、人がよく、恋に奔放な妻・章子に、ことさらに共感を寄せました。  「恋のない世になにがあるでせう」といった章子は、白秋に会ったその日に身を投げ出し、清貧時代の白秋を支えた情熱の詩人です。白秋の自作序文に、「二人はただ互に愛し合ひ、尊敬し合ひ、互に憐憫し合つた」とありますが、ようやく家を建てた祝宴の席で、章子は出入りの記者と駆け落ちしてしまいます。それからの章子は結婚と離婚を繰り返し、次第に狂気に呑まれていきました。『ここ過ぎて』には、蓼科へ逃れた章子が白蓮の別荘で静養し、ひとり立ちしようとした姿が描かれています

幅広い活躍をする天台宗の尼憎・小説家

徳島県徳島市出身。本名は瀬戸内晴美(はるみ)。
神仏具商の家に生まれる。 小学生のころから世界・日本文学全集を読破。東京女子大学国語専攻部に在学中に外務省留学生と結婚、中国の北京へ渡る。1946年(昭和21年)長女を連れて帰国。1948年(昭和23年)夫の教え子と恋愛をし、京都へ出奔。その後、妻子ある作家との8年に及ぶ愛情関係をモチーフに、五欲煩悩に迷う体験から、私小説系列の作品を書く。1963年(昭和38年)女流文学賞を受けた『夏の終り』はその代表作である。ほかに『蘭を焼く』、『おだやかな部屋』などがある。 新しい伝記小説の境地も開拓。主に大正から昭和にかけて、時代とともに人生を燃焼し尽くした女性像・群像を発掘し、自己の生きる証とする。
1973年(昭和48年)、中尊寺で得度。寂聴尼として仏道を修めながら、なお旺盛な執筆活動を続ける。得度後のおもな作品に『女人源氏物語』全5巻、『花に問え』(谷崎潤一郎賞受賞)、『源氏物語』全10巻、『場所』(野間文芸賞受賞)などがある。 1995年度(平成7年度)芸術選奨文部大臣賞受賞。1997年(平成9年)文化功労者となる。 また、1988年(昭和63年)から1992年(平成4年)まで敦賀女子短期大学の学長を務めた。 2006年文化勲章受章。

瀬戸内寂聴の写真


明治から昭和初期にかけて、多くの文化人が集い“蓼科文学”を作り上げた一大文学保養地・蓼科。 蓼科温泉 親湯は、多くの歌人や作家がぬる湯に浸かり、文学談義を繰り広げた文化人の常宿でした。
恋の美しさ、愛情の慕わしさを詠った多くの歌人、 愛の喜びと悲哀を同時に綴った作家たちが好んだ宿であなたも、 あなただけの愛のものがたりを紡いでみませんか。